this worthless life

思ったことをそのまま書きます

昼ドラ 『やすらぎの郷』 感想

やすらぎの郷』が始まった当初、はてなブログで話題になっていて連ドラ予約をして観ることにしました。

倉本聰さん脚本の秀作ドラマでした。

野際陽子さんが最後まで出演していました。八千草薫さんを久しぶりに見ました。いつまでたってもお美しいですね。懐かしい俳優さんが多くでてきます。

舞台は老人ホーム。テレビ界に功績のあった人が無料で入れる。しかし社員だった人は入れない。

あの女優さんを孤独死にさせたのは自分のせいではないのか?

その後悔からこの老人ホームをつくった。

富士真奈美さんの『セールスマンの死』の話。

普通のサラリーマンだった男が『セールスマンの死』の舞台を見て俳優になろうと決意をする。アクターズスクールに行くにはお金が必要だと思ったから、がむしゃらに働いて社長になった。そしてある日、小さな劇場で70歳を過ぎた彼は『セールスマンの死』の主役になった。

 

最終回は見ごたえがありました。

 

あそこに一本の樹があるだろう。あの素晴らしい木を根元から切って、自分の庭に移そうとしても立たないのさ。木は根があって立つ。根は見えない。見えないからみんな忘れてしまう。忘れてしまうから、あの枝ぶりとか葉っぱとか実とか花とか、そういうものばかり大事にしてしまう。そういうものを大事にしなきゃ、いいドラマはできない。

 

樹は根に拠って立つ  されど根は人の目に触れず

 

嬉しいとき、悲しいとき、腹が立ったとき、泣きたいとき、賛成も同意もいらないからただそばにいて話を聞いてくれ、頷いてくれる話し相手がいた。人には誰しも話し相手が必要だ。

 

仕事も引退し、年をとり、配偶者を亡くし、その後の生活はどうなるのだろう。やりたいことをやる。富士真奈美さんの語った『セールスマンの死』。年齢なんて関係ない。

しかし、そのやりたいことが見つからないとき、もうすでに様々なことをやり終えたとき、家族がいない一人ぼっちになった孤独感はどうしようもないだろう。

人を本気で愛すること。年をとること。仕事を引退すること。何かを失うこと。故郷。

思い出。良いドラマでした。毎日コツコツと連ドラ予約でよかったです。これを一気に見るのは大変!!

 

 

bsプレミアム 黒澤明『羅生門』 感想

黒澤明の『羅生門』を観てひどく感動をして、すぐさま青空文庫で『藪の中』を読みました。

短編なので、短時間で読めました。
まず国府の侍の死体が発見されます。

多襄丸。国府の侍の妻。巫女の口を借りたる死霊。
三人がすべて違う話をします。

多襄丸

多襄丸は名高い盗人。たとえ絞首刑になろうとも「卑怯な殺し方はしていない」「女が頼んだから」と自分に都合よく語りだす。その辺の小さな盗人とは自分は違う。名高い盗人としての自尊心があった。

国府の侍の妻

国府の侍の妻は「自分は犯された」と卑下している。「夫は蔑んだ目で自分を見ている」「蔑視されたから、やりきれなくて自分が殺した」と語りだす。これは女性としての、侍の妻という自尊心からそう語りたかった。

巫女の口を借りたる侍の死霊。

侍としての立場から、まさか、盗人ともめて殺されたなんて恥だ。それで自分に都合よく、妻のせいでこんなことになったと語りだす。これはたとえ死んでも侍としての自尊心があった。

それぞれが自分の都合よく語りだす。

人間てこういうものだろうて思います。

誰もが自尊心を持っていて、これだけは守りたいというものがある。

大正時代の物語だから、余計にこういう思いがあったのだと思います。

多分、最初に芥川龍之介の『藪の中』を読んでも意味が分からなかったと思います。

黒澤明の『羅生門』の映画を観て、人間の持つ自尊心について考えさせられました。

小説と違うところは最後に、芥川の『羅生門』の小説のラストが重なっている。

そしてもう一人の語りがある。(これ重要)

この語りとラストですべてが分かったような気がします。

黒澤明は凄く良い。巨匠です。雨の音。木々の光。太陽。

映画って本当にいいなと思いました。

 

本『不思議のひと触れ』 シオドア・スタージョン

”密かに狂わしく嫉妬したーー” レイブラッドベリ  『魔術的名作』

帯にそう書いてありますが、本当に魔術的名作でした。

短編集です。どの作品も読後感が非常にいい。登場人物はベースに「孤独」があります。ヒトのサークルの外側の人たち。

『雷と薔薇』

他の短編は結構どれも好きだったので、時間が経つのを忘れるほどだったのですが、これを読むのには時間がかかりました。なんだか、これだけあまり好きじゃないような気がして。しかし読み終えた後、今現在の北朝鮮とアメリカを表しているのではとも思いました。核戦争後の地球を描いています。

雷と薔薇、美しい緑の草

大海原、そして湿った柔らかい粘土まで

金のカップで夜明けを飲んで

銀のカップで闇を飲んだ

大西部から吹く風が私の愛馬

小川のせせらぎ、ひばりの声がわたしの歌

大切なのはそれだけ。

 

最も好きなものは最後の『孤独の円盤』

『孤独の円盤』も『不思議のひと触れ』もボーイミーツガールです。

どちらも孤独な人間同士がめぐり合う話です。

家族からも捨てられ、誰からも好奇な目で見られる女性。

知るがいい、この広大無辺の大宇宙には

おまえよりもなお孤独な存在のあることを

これは『孤独の円盤』に出てくるセリフですが、どんな 孤独な人にも『不思議のひと触れ』が加わることで孤独の終わりが来ます。

母親の言うことをよく聞き、一度も逮捕されず、飲みすぎても大した面倒は起こさなくて、せいぜい言葉遣いが悪かったと謝ったり、ちょっと胃がむかついたりする程度。

一日ちゃんと働いて一日分の給料をもらい、誰にも憎まれず、それを言うならだれにも好かれない。そういう人間は人生を生きてないんだよ。つまり本物じゃないんだ。でもどこにでもいるそういう平凡な男に、不思議のひと触れが加わると、そしたら、そこから先、彼の人生は死ぬまでずっと本物なんだよ。

この本を読んでいる間は、いい時間を過ごさせていただきました。

憎らしいくらい素敵な小説です。

ほったらかし家庭菜園にて

 

今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏

 

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春じゃないですよ。7月22日に撮った写真です。

去年、不知火の小さな木を1本だけ購入しました。

冬のあいだ枯れそうになっていましたが、暖かくなり何とか若葉が出てきたところにムシが...。幼虫が数少ない葉っぱを食べている!

ムシをどこかへ移動させようかと思ったのですが、容姿容貌が綺麗だったのでそのままにしておきました。家へ帰って調べると、ナミアゲハチョウの幼虫だとわかりました。

キャタピと名付けて数日間見ていたのですが、葉っぱを食べつくしてお腹が空いたのか、さなぎになる前にいなくなりました。残念。

今年の夏の思い出です。

『絶望名人カフカの人生論』 感想

「絶望名人」?「名人」?なんだか違和感のある表題を気にしつつ、図書館で借りました。

10代の頃太宰治に心酔していました。有名な三島由紀夫のエピソード。太宰治を囲む酒席で言い放った言葉。

「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」

何かの本でその酒席に居合わせた人がこの時のことを書いていた。

「嫌いなら来なきゃいいじゃないか」

すると他の人もそれぞれ「そうだ。来なきゃいいじゃないか」と言い出した。

場の雰囲気が悪くなったとき

「でも、来てるってことは本当は好きなんだよなぁ」

太宰治がそう言って笑った。すると他の人も笑い、その場は楽しい酒席に戻った。

太宰治は人を笑わせることが好きだったらしい。

カフカも同じで非常に人柄がよくユーモアあふれる人だとWikipediaには書いてあります。
人当たりのいい偽った自分を抹殺したい、自分の虚無感。小説の中では自分を簡単に殺すことができる。それも悲惨な死に方で。小説の中で自分自身を抹殺することである種の悦びを得ていたのだと思う。

ギリシャの哲学者アリストテレスは、「その時の気分と同じ音楽を聴くことが心を癒す」と主張しました。つまり、悲しいときには、悲しい音楽を聞く方がいいというのです。



カフカを10代の頃読んだときは、心に何か残るものがあった。それから何十年も経ち様々な経験や体験をし、酸いも甘いも噛み分けて再びカフカを読んだとき、カフカの解釈ができるようになったのではと考える。

左の解説は邪魔。カフカの言葉をどう解釈するかは自分次第。

生きることは、絶えずわき道にそれていくことだ。本当はどこへ向かうはずだったのか。ふりかえってみることさえ許されない。



これは生きていくうえで誰もが経験しているのではないだろうか。絶えずわき道にそれながら足掻きながら生きている。絶望。

そういう絶望の中で、悲惨な死を迎える小説を読む滑稽さ。
カフカの小説をもっと読みたくなりました。

まっ、今は「絶望」ではありませんが...。

 

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)

 

本「スクラップ・アンド・ビルド」 羽田圭介 感想

たまたま付けたテレビに羽田圭介さんが出ていて、最近出演しているミュージカルの話をしていました。ファンの人から頂き物をするけれども、その人たちは自分の本を読んでいないと嘆いていたので、今更ながら代表作「スクラップ・アンド・ビルド」を読んでみようと思い、図書館で借りてきました。

感想は、この人好きかも。彼独特のアフォリズム。若い世代の中では最も好きな作家かもしれない。中島らもさんのふざけたような文章を読んだ後だったせいか、ピリッとした硬派な小説でした。

無職で行政書士の資格を目指して勉強をしている健斗。「身体が痛い」「死んだ方がいい」と、口癖のように訴える同居をしている祖父。ならば楽に死ねるように手助けをしてあげよう。

被介護者の動きを奪うのが一番現実的で効果的だよ。人間身体を動かさなくなると、身体も頭もあっという間にダメになる。筋肉も内臓も脳も神経も、すべて運動をしているんだよ。過剰な足し算の介護で動きを全部奪って、全部いっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから。要介護3を5にする介護だよ。

 その日から健斗は祖父の仕事を取り上げ、できる限り自分がしてあげようとし、祖父に楽をさせて動きを鈍らせようとする。そして自分自身は最も忌むべき祖父のようにならないように、筋力トレーニングに励む。無職の彼は祖父を蔑視していた。しかし祖父は自分のためにあれやこれやと面倒を見てくれる孫を非常に心配をしていた。

健斗はじいちゃんが死んだらどげんするとね。

ある事件がおき、祖父の心の奥底には「生きたい」「死にたくない」という願望があることに気付く。

そして 健斗自身、祖父が楽に死ねるためにとしていたあらゆる行為が、自分の成長につながっていたことに気付く。

終わり方も非常に良かったです。祖父は健斗のことを深く心配していた。祖父の優しさ。

そして車窓から見る風景。車内の人々の描写。

桜マークの「大変よくできました」のスタンプを押したいくらい好きな小説でした。

これぞ芥川賞!!

『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも 感想

最近好きになった作家、中島らもさんの本を読みました。

らもさん独特の孤独な人々のとらえ方やユーモアはやはり秀逸です。

劇団を辞め写植をなりわいとする羽多野。詐欺にあい、先祖代々の会社も土地も手放してしまい、自分自身が詐欺師になった相川。売れない前衛芸術家キキ。大きな出版社で働く美咲。心のどこかに絶望感をかかえながら、しっかりと生きようとしている人たち。

生者っていうのはそんなに誇らしいものですかね。おれは、岩や水のほうがうらやましい。生きているっていうのは異様ですよ。みんな死んでるのにね。異様だし、不安だし、水の中でもがいているような感じがする。だから人間は言葉を造ったんですよ。

 

わがまま言うんじゃないわよ。あなたは、失うことに我慢できないのね。でも、失うなんて、錯覚よ。あなたは不幸でいるのが好きなだけなのよ。

 

この本に出てくる人は誰もが不幸です。そして誰もが大きなものを失っています。それでもしっかりと生きている。

らもさんの小説はガダラの豚もそうでしたが、最後に『面白い』というのが残ります。そしてらもさんの博学には本当に敬意を表します。

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)

永遠も半ばを過ぎて (文春文庫)