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this worthless life

思ったことをそのまま書きます

お布施

トピック

トピック「宗教」について

私の家は確か真言宗に属していると思う。

毎年数回、檀家の住職さんがお経を読みに来てくれる。その都度、お布施を用意しているのだが、これを渡すことを疑問を持ったり、嫌な気になったことは一度もない。

祖父が亡くなった時も、いくら渡したらいいのか人に聞いて、住職さんには確か10万円くらい渡したと思う。故人のためにお経を読んでいただいてありがとうございます。本気で思っているから、良くして頂いているから、お布施を渡して当然であると思っている。

子供が幼稚園に入り、ママ友とも付き合いが多くなり、思うことは、新興宗教に入っている人は想像以上に多いことだ。姑から「新興宗教に入ると言う事は、いまある檀家をないがしろにすることだ」と言われていたし、興味もなかった。

あるママ友と親しくなった。仕事をしていて、子供を一人ぼっちにしていた時「一緒に映画会に連れて行ってあげる。困っているときはお互い様だから」と、私の子供を連れて、幼児の映画会やイベントによく連れて行ってもらった。涙が出るくらい良くしてもらい、非常にお世話になった。彼女が某新興宗教に入っているという事を人づてに聞いた。やがて旦那さんの仕事の関係で、彼女は遠方へ行ってしまった。年賀状のやり取りが続く程度になった。数年ぶりにこっちに来るからと、会うことになった。長く会ってなかったので、会うのは嬉しかった。喫茶店で話をしていると「ところで今度の選挙は誰に入れるか決まってる?」「?なにも??」するとカバンの中からパンフレッドを取り出して説明を始めた。「〇〇党の××さんに入れてくれない?教育のことも福祉のことも非常に良く考えてくれて、ぜひ入れてほしいんだけど」「いいよ」軽い気持ちで引き受けた。「あと比例代表は〇〇党に入れて欲しい」「わかった」

それから数か月後、電話がかかってきた。「〇〇新聞をとってくれない?」「いいよ」1か月の間、宗教新聞をとることになった。また数か月後「〇〇新聞を2か月間とってくれない「今ちょっとお金がなくって」「じゃぁ1か月は私がお金を出すから、新聞だけとってほしい。あとの1か月だけでいいからお金を払って読んで欲しいんだけど」「それならいいよ」そしてまた数か月後、同じ電話がかかってきた。幼稚園の時、本当につらかった時、彼女に助けてもらった。「いいよ」

私には家族がいる。家族がその新聞を見て「浮世離れした1面記事。こんな新聞読むところがない。どうしてもとってやりたいのならお金だけ渡せ。新聞は要らない」

それから私はメールアドレスを変えた。彼女との付き合いは以前のように年賀状だけになった。

彼女が人柄的に非常に尊敬できる人であり、その思いは今も変わっていない。個人的に何の宗教に入ろうとそれは個人の自由だが、他人を少しでも巻き込むなら、その宗教は人を傷つけるという行為をしているのではないか。

「政治と宗教と学歴の話はするな」

若い頃に聞いたことがある。そして今、こうして宗教の話を書いていると、何とも言えない嫌な気分になっている。

科学雑誌「ニュートン」

news.yahoo.co.jp

ニュートン」無くなるのか。もう久しく読んでなかったなぁ。

 

10代後半の頃、深夜放送をよく聞いていました。

文化放送セイヤング、TBSパックインミュージックニッポン放送オールナイトニッポン。セイヤングを聞こうとラジオをあわしているのに、微妙に韓国放送になってしまう。布団の中で聞いているとそのうち寝てしまって、途中までしか聞けないこともよくありました。「中国に進出」「侵略」教科書問題。ニュースを聞いてもピンとこないのに、深夜放送でこの話を進めていくと、教科書では教えてくれない事実が見えてくる。アメリカ軍基地の問題。それは本当に学校とは違う「もうひとつの別の広場」でした。

 

その中であるパーソナリティーが「ニュートンが面白いよ。全面カラーで絵だけ見ててもきれいだし、何よりも分かり易い。竹内均さんを尊敬するね。学校もこういう教え方をしてくれたら理科が好きになってたのに」と言っていました。本屋で立ち読みをし、購入しました。確かに面白かった。理科嫌いの私もすんなり読むことのできる雑誌でした。

それを機に、科学に興味をもちました。ライアルワトソン教授の生命潮流。カールセーガンのコスモス。その頃は竹内均さんがテレビよく出ていて、こういう科学のテレビがよくありました。ライアルワトソンの生命潮流の本を購入しようと本屋で探すと、かなりの分厚さで字ばかりで、これは私には難しいんじゃないのか、と購入するのを辞めました。ニュートンは何回か購入しました。リーダーズダイジェストのように定期購読ではなかったけれど。リーダーズダイジェスト日本版が休刊した時も、残念だった。学校の理科はそんなに好きじゃないけど、科学はけっこう面白い。今でいえば、でんじろう先生。

竹内均さん亡き後、「おもしろくて楽しい雑誌」はできなかったのだろうか。それとも買う側に、科学に興味をもつ人が少なくなったのか。

ネットを見れば、写真、美しい映像、すべてがわかる。科学に関しての文章も書いてある。考えれば私もネットで済ませている人間の一人だ。ただ思い出のある雑誌がまたひとつなくなっただけ。

ちくわを使って簡単に

料理

 

お題「材料3つ以内ですぐできる酒のアテ」

ITパスポートの資格は取っているが、パソコンはさっぱり使えない人間が初めて写真を投稿します!!!

以前プロバイダーを変えたとき、工事に来てくれた人から、「このパソコンは無線ランですか?」と聞かれ「......?無線ランて何ですか?」と答えたことを家族に話すと「そんなこと聞くな!!!」といわれ「このパソコンは線がいっぱいある」と私がいうと「これはディスプレイと本体とをつなぐ線。本体と電源とをつなぐ線!」

今回スマホ写真をパソコンに移す方法を調べていて、USBケーブルで出来るらしいと分かり、USBケーブルって何だ?USBメモリーとは違うのか?デジカメのUSBケーブルはスマホには入らない。帰ってきた家族に「うちの家ってUSBケーブルある?」と聞くと箱の中からUSBケーブルを取り出した。「スマホ買ったときに一緒に入っていたけど、これ今までなんだと思っていた?」「線」

前置きはさておき、すぐできる酒のつまみ。

とにかく簡単。材料はちくわとキュウリと魚肉ソーセージ。3つ。

あと、マヨネーズ。わさび。

キュウリを4つに切ります。そしてちくわの中にわさびとマヨネーズを入れます。

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そしてキュウリをちくわに差し込みます。奥まで全部差し込んでください。

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次に魚肉ソーセージも同じように差し込みます。

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魚肉ソーセージの余った部分を切り、縦に二つに切ります。

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まず、半分に切った魚肉ソーセージを両側から差し込みます。

次にキュウリを両側から差し込みます。

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完成です。

わさびとマヨネーズで食べましょう。料理に係る所要時間1分。写真を撮ってパソコンに入力する時間30分。

キューカンバーちくわ魚肉ソーセージちくわ

CCGCとよんでやってください。 

 

若い頃していたボーリング

今週のお題

今週のお題「何して遊んだ?」

 

若い頃、ボーリングをして遊んでいました。

ボーリングが好きだったわけではありません。もともと運動全般において不得意な私は、友人が好きだったので、一緒に付き合って遊んでいたというだけ。ボーリングをするにあたって、ボールが重たい。だから一番軽い子供用の赤いボールを選んでいました。それでも投げると、レーンの上でドーン、と大きな音をしてボトンとボールが落ちてしまう。「レーンに穴が開くんじゃない?」と笑われながら、それなりに楽しくしていました。それでも奇跡的にストライクが入ることもありました。

あるとき、ガーターが続いて「今度はストライクをだすからね!」と言って大きく腕を振り上げると、ボールが後ろに飛んでいきました。友達がゲラゲラ笑って、隣のレーンの人も私を見てゲラゲラ大笑いをしていました。漫画『あたしンち』で同じシーンがあり、実体験と重なり合って笑いました。違うのは、漫画では観ていた友達が青ざめた顔をして「死ぬかと思ったわ」と言っていましたが、私の場合は誰もが大笑いをしていました。だからボールは安全なところに飛んで行ったんでしょう。まぁ後ろに飛んだ時点で安全とは言えませんが。

そのあと喫茶店でチョコレートパフェをよく食べていました。

そういえば喫茶店巡りもよくしていました。懐かしい思い出です。

 

 

「恋に落ちて」ーベッキーを非難する人へ ー

映画

www.msn.com

まず、私はベッキーのファンではありません。

嫌いではありません。好きですが、そこまで意識はしませんでした。

ベッキーは『ゲスの極み乙女』の川谷さんを好きになり、彼が結婚していることを知らなかった。やがて結婚をしていたことを知り「奥さんとうまくいってなくて、もうすぐわかれるから」と言う言葉を信じ、深く愛してしまった。

川谷さんの奥さんは夫の異変に気付き、調査した。そして、彼のスマホの中にある、ベッキーとのラインの内容を週刊誌にリークした。(間違っていたらごめんなさい)

金スマ中居正広さんとのインタビューを見た。

「肉体関係はなかった。好きだった」「ほんとに好きだったんだね」

そういって涙を流していた。

 

ロバートデニーロとメリルストリープの『恋に落ちて』と言う映画。

本屋でふとしたことで知り合い、そして電車の中でまた出会った。何回か出会ううちに、恋に落ちた。お互い家庭があった。ロバートデニーロの奥さんが異変に気付き、問いただすと「好きな人ができた。でも何もなかった」。そのあと奥さんが、デニーロにコップの水をかけて「なお悪いわ」。そういって、家から出ていくことを告げる。

「なお悪いわ」

若かりし頃の私は、この意味が理解できなかった。肉体関係がないのになぜ「なお悪い」のか。

遊びじゃなかったから、軽い恋じゃなかったら、本気で愛してしまったから、だから何もなかった。

相手はもうすぐ妻と別れるといっている。ベッキーも川谷さんも、本気でお互いを深く愛してしまったんじゃないだろうか。

上のmsnニュースのベッキーの記事を書いた人に言いたい。

『恋に落ちて』を見てください。

そして苦い恋の結末を経験したベッキーを、温かく見守ってあげてください。

ちなみに、『恋に落ちて』の結末は素敵ですよ。

 

恋におちて [DVD]

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映画 ヒトラー最後の12日間 

映画

録画しておいたものを見ました。

ヒトラーの秘書をしていた若い女性の視点から見たヒトラーを描いています。

ヒトラーの最後のときは、NHK映像の世紀」のヒトラー版で描かれていましたが、個人的にはそっちのほうが好きでした。

この映画はあまりにもリアルすぎて、詳細を映像としてみると気分が悪くなる。敗北を認めない姿勢。敗北を認めたり逃げたりすると、同じ仲間から銃殺される。すべてにおいてあまりにもリアルすぎるので、映画の出来としては素晴らしいものだと思いますが、評価は完全に分かれると思います。ちなみに私は、この作品は嫌いです。最後に秘書が逃げるとき、少年が秘書の手をつかんでまっすぐに歩いて行き、途中川に捨てられている自転車を見つけ、少年を乗せて走っていく姿がこの映画の救いでした。

第二次大戦のドイツを描いた作品で思い出したのがこれ。

メリル・ストリープ主演『ホロコースト -戦争と家族-』DVD-BOX                              

        

 
 
メリル・ストリープ主演『ホロコースト -戦争と家族-』DVD-BOX
 
 
 
かなり前に「ルーツ」と言う、アフリカの黒人が奴隷としてアメリカに連れてこられ、最後は自由を得る、テレビドラマがありましたが、これも同じタイプのアメリカのテレビドラマです。20歳前半の多感な時期に見たというのもあるかもしれません。何十年たっても、記憶に残っているドラマです。
ホロコースト」という言葉をこの時まで知りませんでした。「クリスタルナハト」という言葉もここで知りました。「水晶の夜」です。ユダヤ人居住地にある夜、反ユダヤの暴動がおこり、放火しガラスを割り、大量のガラスの割れた破片が、月明りでクリスタルナイトに光った。
ただ普通の仕事のなかった青年が、仕事を得るためにナチスにどこまでも忠実になっていく様。
強制収容所で生き残るためには、どんなことでもしなければならない。
今まで見たどの映画よりも、印象に残っています。
長いドラマですが、おすすめです。
 
 
 
 

 

私の両親の話

家族

blog.lalamiamor.net

 この記事を読んで私の両親を思い出したので書きます。

 私の両親は見合い結婚をしました。父親はお金のために内航船の船員になりました。

家に帰ってくるのは1年に2回くらい。帰ると1,2か月はずっと家で居ました。父はずっと家に居て新聞を読むかテレビのニュースを見るかでした。父は寡黙な人でした。母は陽気でよくしゃべる人でした。母はいつもいない父の悪口ばかり言っていました。父がたまに帰ってくると、父と母はよくケンカをしていました。理由は母が家事をしない。子供のしつけができていない。子供たちはたまに帰ってくる父親が嫌いでした。

 いつも夫のいない母は、姑と仲が悪かったので、小さな家を建ててもらいました。小さな家を建てた15年後、同じ市内の別の場所に、今度は大きな家を建てました。小さな家は兄が結婚した時、兄夫婦が住む家になりました。大きな家に、母と成長して社会人になった2人の子供が住むことになりました。やがて兄は結婚をし、小さな家に住みました。娘は結婚をして家を出ていきました。

父親は退職して大きな家に住むことになりました。その数年後、母は飲酒運転の車にはねられました。1年半の入院の間、父は毎日ずっとベッドのそばで母の面倒を見ていました。母は左手と左足が不自由になりました。人工肛門をつけました。退院して、母は不自由さを嘆きました。父は何も言いませんでした。昔の人だったから、父は家事もそんなに手伝いませんでした。母は以前よりも父の悪口を言うようになりました。

 退院して半年後、母は腹痛を訴えて病院へ行きました。肺がんの末期でした。また入院することになりました。父は今度は車で50分をかけて、毎日母のいる病院に通いました。日中は病院で母と居て、夕方帰る生活になりました。やがて、意識がなくなり、点滴だけで、生きているようになりました。「ゆうこ」いう名前の母に「ゆう君、みやがきたよ。ゆう君。」と声をかけました。父親は点滴をやめてほしくない、と言いました。意識のない、点滴だけを続けている母の隣で、1か月も家に帰らずずっとそばに居ました。

母が亡くなり、父は大きな家に一人で住むことになりました。

兄夫婦は父の家にはあまり行きませんでした。

それから20年近く経ち、父は物忘れがひどくなり、近所の人が兄夫婦の家に知らせました。父は一人ぼっちはさみしいので、誰かと一緒に暮らしたい、と言い出しました。

兄も私も無理だ、と言いました。

 父はあるとき台所洗剤を飲み入院しました。昼頃、義理の姉が家に行くと倒れてゼイゼイいっていたそうです。父は入院しました。一人暮らしは無理だからと、入院中にホームに入ることを私と兄とで決めました。本人は入るのを嫌がるだろうが、もう一人暮らしをさせるのは無理だと判断した結果でした。要介護1はホームに入所できませんが、行きつけの医者に無理やり頼んで要介護2にしてもらいました。田舎の病院はこういうことを平気でしてくれます。ホームの空き待ちで、悪いところはないのに退院させませんでした。総合病院の先生は怒りました。「どこも悪くないのに入院させて、見ていてかわいそうです。早く退院してください」。婦長です、と言う人が来て「あなた以外は誰も来ません。退院はいつになるかわからないのでもう来なくていいですよ」。それでも3か月入院させました。

 父は家に帰ることなく、退院するからと騙してホームにいれました。当然父は激怒しました。ホームの人も困りました。しかし兄はホームの人に「うちの妻はこの人のことを頑固だといいますが、頑固ではなくて偏屈なんです」といい、父には「しばらくここで居て、良くなったら家に帰れるかもしれないからな」と言いました。

 その数か月後、私は親戚の家に行く用事がありました。

親戚の人から「お姉さんはお父さんの面倒を一人でよく見ているわね」「お父さんの面倒を見るためにあの家に引っ越してきたんじゃないの」と言われ驚きました。父をホームに居れた2か月後、父がいなくなった大きな家に兄夫婦が引っ越してきて、父の面倒を見ていると親戚や近所に吹聴していました。それを私が聞いたことを知ると、義理の姉は「私が一人で見ていたけど、転倒したら大変なのでホームへ入れました。私はあなたほど気楽じゃないんです」と私の家に言いに来ました。

 父はホームに入った後、一度も家へ帰ることなく今に至っています。「父親は落ち着いてきた」兄はそう言って笑いました。つまり父は諦めたのです。そんなにぼけていなかった人が、ホームに入って本当に呆けてきました。もう私が誰だかわかりません。

 父は母との老後のために大きな家を建てました。病気になったら困るからと、たくさん貯金もしていました。貯金は母の事故と病気のためにたくさん使われました。父は何のために働き何のために貯金をし、何のために家を建てたのか。父の人生はいったい何だったのか。

 父はホームに入って2年を超えました。母がいればあの大きな家で、2人はどういうその後があったのだろう。 母は文化も娯楽もない小さな町だけど、それなりに楽しく生きていました。母は幸せな老後の前に、長い病院生活の後死んでしまいました。父は幸せな老後にはならず、捨てられて、二度と出られない檻に入れられちゃったんです。

 そして私は老後と呼ばれる年齢になる前に、消えてしまいたいと思っているのです。