this worthless life

思ったことをそのまま書きます

映画『これが私の人生設計』 感想

 

 録画がどんどん溜まってしまう。見たい映画がありすぎる。最近BSプレミアムの映画が名作が多いのでwowwowに加えて録画をしてしまう。『80日間世界一周』はいい映画だったが、ジュールベルヌの小説を読んだ方が面白いんじゃないか?読んでないが、小説のほうが詳細に書かれていて映画より絶対いい。よく小説の映画化がされるが、小説を読んだとき、頭の中でイメージしたものがあったものの、映画化されるとものの見事にぶち壊される。なかにはいい映画もある。朝井リョウの『桐島、部活辞めるってよ』は小説は嫌いだった。しかし映画はかなり良かった。こんなつまらない小説なのに、映画にするとこんなに面白くなるんだ、と思った。(朝井リョウさま、大変申し訳ありません)。テレビばかり見ているので、そろそろ本が読みたくなってきた。

  この辺で映画を辞めて本を読もう、と思いながら観たこの作品。典型的なイタリア映画です。イタリア人は恋愛と食べ物が大好きなイメージがある。バリバリのキャリアウーマンの建築家として様々な世界で活躍してきた女性が、故郷のイタリアへ帰ってきます。ところがそうはうまくいかない。貯金が底をつき、レストランでアルバイトをすることになる。キャリアウーマンらしく何か国もの言葉を話せるので客と会話ができる。世界の客に料理の説明ができる。そしてオーナーの男性に心惹かれるのだが、彼はゲイで...。そして就職先の面接に行くがイタリアは男尊女卑が酷くて、思わず嘘をついてしまう。

面白い!!これぞイタリア!!ロマンチック(?)ドタバタコメディです。

「外国に居てもそのうち恋しくなるわ。

外国で暮らしていると孤独で傷つきやすくなるの。

あなたとランチをすると癒される」

これが世界で活躍した女性がイタリアに帰ってきた理由でした。肩ひじを張って頑張ってみたものの、安らげる場所は故郷イタリアしかない。彼がゲイであっても、やはり落ち着ける居場所だった。

笑えます。ミニシアターで観たら余計笑えたような映画です。

 

ポスター画像

ふと思い出したこと

qtamaki.hatenablog.com

 

 賢者の創作石  id:ArtStoneさんがリンクを貼られていたこの記事。

 

私の高校時代、父親不在の家庭で母親との不仲、家庭不和、学校嫌い、思春期の憂鬱、毎日が悶々としていた。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

ゴーギャンさながら、そんなことばかり考えていたある日、本屋で一冊の本を見つけた。

『生きる 加藤諦三

題名にひかれて購入した。この本を読んだ衝撃は今でも覚えている。加藤諦三先生はこの本を書いた時まだ20代で(Wikipediaで確認をすると26歳)東大の大学院を出たばかりで、どうしてもいま自分の思っていることを書きたかったから、出版社に持ち込んでいって採用されたと書いてあったように記憶する。20代の文章は内から湧き出るエネルギーに満ちていて、ギラギラとした加藤先生の叫びだった。それから何冊も加藤諦三先生の本を購入し読んだ。当時の先生の本はどの本もギラギラしていた。

そんななか、将来のことを考えていた。短大に言って社会勉強のため就職をして結婚をする。そういう筋書きが母親にはあった。私自身、高卒なんて言うのは人種の違う人だと思っていた。学力のない人、もしくは経済的に困難な人。それが高卒だと思っていた。短大なんてピンからキリまであるから、全く勉強をしなくても合格できる短大はあった。勉強しないで入れる大学には生きたくなかった。かといってやる気もない。

高校を出て就職しよう

完全な発想の転換だった。こう思ったとき、なぜか周りが明るくなったように思えた。凄く嬉しかった。身体が軽くなった。自転車に乗って外へ出た。目に見える景色がとても綺麗だった。光が眩しかった。

どうにもならないと思っても、どうにかなるものだと思っている。そして一筋でも光が見えたら、そのドアを大きく開ければいい。

 

年をとるっていうことは、背負っている荷物をひとつづつ捨てていくこと。

 

20歳を過ぎたころそう思った。身体が軽くなった。川上にある尖った石が転がり落ち川下にきて丸い石になるように、人は変わっていく(全く変わってない気もするが)。

何十年か前、加藤諦三先生の「アメリカインディアンの教え」がベストセラーになった。加藤先生は以前のようなギラギラ感は失せていた。論理的な文章を書く先生になっていた。私は数多くのやりたいことをやってきた。そして年をとって体が軽くなった今、自分は何でもできるんじゃないかと中二病のように思っている。まだやりたいことがたくさんある。やりたいことに年齢なんて関係ない。こういう馬鹿みたいな考えは、若い頃読んだ加藤諦三先生の本がベースになっているんだと思う。若い頃山ほど読んだから加藤諦三先生の本を読むことはもうないだろう。サクラ id:sakurafubukimauさんのブログで「加藤諦三」の名前を目にして懐かしいなぁと思いました。

とりあえず、今やらなきゃいけないことはテレビの録画がたまっていること。これを消化していかなければ!

 

 

映画「ブルックリン」 感想

 

2時間が短く感じられました。話はテンポよくどんどん進んでいきます。

アイルランドの小さな田舎町に住む女の子エイリシュはアメリカで働くチャンスを得ます。彼女の姉ローズが妹のことを思い、神父さんとともに相談し、エイリシュにアメリカでの仕事や住処を用意しました。映画「ルーム」で母親が子供を逃がしたけれど、それと同じで、自分の妹にはこんな小さな街ではなく、大きなアメリカでチャンスを掴んで幸せになって欲しかったのでしょう。船の中である女性からアドバイスをもらいます。「自信をもって颯爽と歩くこと。」そうすれば入国はうまくいく。

”アメリカへようこそ”

内気な少女がそこである男性との出会いにより、どんどん美しくなってきます。『牛牧場の娘』とはよく言ったもので、少し太ったさえない女の子が見る見るうちに綺麗になっていく。女優さんて凄いなぁと改めて思いました。

あることでアイルランドに1か月の間だけ帰ることを決意します。アイルランドにはの非常に弱くて狡猾な母親がいました。狡猾というよりも、弱い母親が寂しさが強くなり、あらゆる方法で引き留めていたのでしょう。以前はそぶりも見せなかった男性が、美しくなった彼女に好意を持ちます。

「アメリカに行く前、こういう状態だったらよかったのに」

『主よ。指輪をつけし者たちが互いに誠実であるように。

誓いを貫き互いの愛により平和が訪れるように。

主キリストを通して願いたもう。アーメン』

友人の結婚式でこの言葉を聞いたとき、彼女の心の中はどうだったのだろうか。

あることにより思い出します。姉がエイリシュに託した深い思いを。

 

最後にこの映画のなかで好きなセリフを記します。

 

いつか太陽が昇るわ。

そしてすぐにはわからないけれど光が差すの。

やがて自然と考えるようになるの。

新しく出会った人なんかを。

あなただけが知る人。

そして気づくわ。

ここに人生があることを。

 

好きな映画でした。アカデミー作品賞、主演女優賞、脚色賞にノミネートは納得がいきます。

 

ボブ・ディランのノーベル賞受賞講演をニュースで聞いて思ったこと

『ボブディラン』の名前を初めて知ったのは多分、ガロの「学生街の喫茶店」の歌詞からだと思う。『街角で聞いていたボブディラン』。ボブディランそのものは名前しか知らなかった。

その次に印象に残っているのは、伊坂幸太郎アヒルと鴨のコインロッカー』で主人公がボブディランの「風に吹かれて」を口ずさんていた。最初に小説を読み、そのあと映画を観た。そのとき「風に吹かれて」の曲を聴いた。どこかで聴いたことのある曲だった。

反戦歌と言うと、私の中ではジョンレノンの「ハッピークリスマス」の印象が強い。日本では岡林信康とか杉田二郎。二人とも、ラジオの深夜放送から覚えた人で、私の時代にはもう第一線ではいなかった。

彼が強い影響を与えた文学作品として『白鯨』『西部戦線異状なしホメロス叙事詩オデュッセイア』を挙げた。

私は白鯨もオディッセイアも読んでいない。『西部戦線異状なし』はテレビの名画劇場で観た。反戦映画というと一般的には「火垂るの墓」とか「7月4日に生まれて」とか「プラトーン」が出てくるが、私にとって反戦映画は20代前後に観た「西部戦線異状なし」だった。

ネタバレをすると、ドイツの教室で先生が国のために戦う戦争の素晴らしさを教えていた。その言葉に感銘を受けた生徒たちが何人も戦争に志願した。しかしそこで観たのは戦争の悲惨さだった。休暇をもらって故郷に帰ると、先生は同じように戦争の素晴らしさを教えていた。彼が戦争の惨さを語りだすと追い出されてしまう。そしてまた前線で戦うことになる。人間の心を失いかけたとき、ふと近くに蝶がいることに気付く。蝶の近くに手を伸ばした瞬間、撃たれて死んでしまう。そのあと本部に報告をする。「西部戦線異状なし」。戦争にとってたった一人の命などとるに足らないものだった。

中上健次の「19才の地図」で「人間の思考の基本は19歳までに作られる」とか言ってたような。だいぶん昔に読んだので忘れた。たしかそんなことを書いていた。やはり20歳前後に観たNHKの「この世はすべて舞台」というBBC制作のドキュメンタリーがあった。シェイクスピアの「お気に召すまま」のセリフ「この世はすべて舞台。そして男も女もみな役者に過ぎない」からとったもので、何回かにわたって放送された。古代ギリシャの演劇から始まってシェイクスピアに続きコメディフランセーズやアクターズスタジオまで演劇の歴史を教えてくれたものだった。めちゃくちゃ感動をしたのを覚えている。

歌と文学は違う。歌は読まれるのではなく、歌われることを意図してつくられている。シェイクスピアの言葉はステージで演じられることを意図されている。それはちょうど歌が、ページの上で読まれることではなく歌われることを想定しているのと同じように。

歌と文学は違う。文学はページを開いて自分自身で読まなくてはならない。歌は自然と耳から聴こえてくる。どんな状況であっても、どんな時代にも、自分の生きてきた人生の風景にはいつも音楽があった。

私のまわりにはボブディランの音楽ではなく、ボブディランに影響を受けた人の音楽があった。

歌が人の心を動かしたなら、大事なのはそのことだけだ。私は歌の意味を知る必要はない。全てを曲に込めている。

私はボブディランの音楽をよく知らない。ノーベル賞をとっても聴こうとしなかった。近いうちにゆっくり彼の音楽を聴いてみたいと思っている。

  

ブログをする理由 川柳

今週のお題「ブログ川柳」

 

家族には 語らぬ想い ブログ記す

 

ブログをする理由は人それぞれあると思います。

啓蒙的なブログを書きたい人。何気ない日常のほんのひとときや家族への思いを記録したい人。料理のレシピ。癒し系。芸術系。自己啓発的なもの。本や映画の感想。日常の生活の毒だし。

私の場合は完全に最後の毒だしです。

多分どの人もそうだと思うけれど、表面には嫌なことを見せたくない。言いたくないというのがあります。それが家族であればなおさら、嫌な気分にさせたくない。だから嫌なことは言わない。だけどどこかではけ口が欲しいから、それをブログで言っています。私のブログを見てくださっている方、鬱陶しいブログでごめんなさい。

人間にはどこかジキル博士とハイド氏のようなものが存在しており、目で見える表面上はジキル博士のように善良な人間になろうという意志があるが、裏ではドロドロとした悪の心を持つハイド氏がいる。日常生活はジキル博士。ブログ上はハイド氏。

悪の塊のハイド氏は自分がどす黒い心を持っているので、美しいものにあこがれます。

美しい写真。美しい心を持った人。美しい芸術。少し屈折したような文章。

黒澤明の「生きる」以来カフカをよく考えますが、ウィキペディアによるとカフカは他の人とは別格の人格者だったらしい。役所勤めの、真面目で善良な人と思われている自分自身をどこかで嫌悪していて、「変身」の気味の悪い毒虫はカフカ自身を投影した姿ではなかったか。カフカはそんな自分自身を塵を掃き捨てるように抹殺したかったのではないだろうか。

 

ジーキル博士とハイド氏 (岩波文庫)

ジーキル博士とハイド氏 (岩波文庫)

 

 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

最後にもう一つ

我がブログ 文章力のなさ 呆然と

 

映画『ニューヨーク眺めのいい部屋売ります』 感想

映画「メッセージ」を観てきました。

「SFのオールタイムベストっていうから期待してたんだけど、最初のほう私寝てたわ」

「俺も...」

「最近SFをよく読んでいるけれど、ちょっとこれは...わけわからないっていうか理解はできるんだけど、なんだかねぇ」

「...」

 

ということで、映画館で観た「メッセージ」の感想ではなく、wowwowで観た「眺めのいい部屋売ります」の感想を。

エレベーターのない理想的な家に住んでいる夫婦が、70歳を過ぎて階段の上り下りが困難になったので、エレベーターのある家に引っ越しをすることにしました。

舞台はブルックリンの5階のアパート。画家のモーガンフリーマンと元教師のダイアンキートン。年をとってもダイアンキートンは『可愛い女』ですね。「ブルックリン」「画家」で思い出したのが『ナタリーの朝』。あれもブルックリンが舞台だった、と考えていたらブルックリンは実家でした。芸術家の卵の街はグリニッジビレッジ。

ともかく、モーガンフリーマンは家を売ることに難色を示します。この家で一緒に暮らしだし、この家で子供を諦め、この家でダイアンキートンの退職祝いをし、そして犬をもらう。そして年月を経てこの街は変わってきたがやはり愛着がある。人とのつながりもこの街にはある。窓から見える景色。屋上の家庭菜園。確かにエレベーターがないことを除けば理想的な住まいです。冷やかし半分で家を見に来た女性の子供が言います。「いろんな家を見たけれど。おじさんの家が一番好きよ」

40年も住んで思い出の詰まった家を手放すのは、気が進まない。エレベーターのある広い家が見つかったけれど、窓から見ると眺めはよくない。

橋で事件が起きて、家を売る金額が少し安くなってしまった。

70年代のまだ人種差別が残っていた頃の結婚。二人が生きてきた中での様々な問題が映し出されます。それがこの眺めのいい部屋の重みになっています。

気持ちのいい終わり方です。いろいろと思うものがある心地のいい映画でした。

(C)2014 Life Itself, LLC ALL Rights Reserved 

『教授のおかしな妄想殺人』 感想

yahooや映画.comの評価は低いけれど、結構面白くて楽しめました。個人的には☆3.8くらい。

舞台はアメリカニューポート。この大学に赴任してきた教授は緑がいっぱいのキャンパスのなかの洒落た家を提供されます。「人生は無意味だ」「哲学とは自慰である」鬱々とした日常に、ふとしたことから生きる目的を見出し絶好調になります。ずいぶん昔に『必殺仕事人』というドラマがあったけれど、そんな感じ。悪を成敗いたす。でもそれは実際には殺人なわけで、自分なりの論理的な理屈で説明する。

二人の女性が彼を好きになり、教授と関係をしますが、1人は既婚者で夫のほうは彼女のことを愛しています。もう1人の学生は恋人と将来の話をしたり、深い付き合いをしています。二人とも、満ち足りた現状に満足できない。彼のことは好きだけれど、刺激のある人生を求めた。

その必殺仕事人的なことが少しずつほころびを見せてきます。中村主水の殺人が家族にばれたらどうなるだろう(笑)

最後が少し気に入らないけれど、ウディアレンらしいフランス映画のような終わり方。

これはこれでありでした。

教授が語るセリフ

「人生は悲惨なことの連続だというのは嘘で、人生は最初から最後まで悲惨である」

これがこの映画のすべてを語っています。

女子大生が最後に語る

「教科書からは何も学べない」

偶然が重なってすべてがこういうことになってしまった。

地味なエマストーンも良かったです。

ポスター画像