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this worthless life

思ったことをそのまま書きます

生きるって何なんだろうな

 

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天気が良かったのでグループホームへ行き、父とお墓参りをして、その帰りに一緒に海を見に行った。風は少しあったものの、以前よりも温かくなっていた。海は日差しを浴びて、きらきらと光っていた。

春は悲しい。

いつからこう思うようになったのだろう。

子供の頃は春が好きだった。ぽかぽかと気温が上がり、様々な花が咲き、出会いがあった。新しい年が始まるのは、お正月ではなく4月だった。

私は母と仲が悪かった。父によく似た性格の私を母は嫌っていた。

「お前なんか生むんじゃなかった」「私は苦労ばっかりしてきた。お前を見ると腹が立つ。私が死んだら、お前を不幸のどん底に突き落として、なでて撫でてなでまくってやる」「お兄ちゃんは私に似ていい子なのに」「親に口答えなんかするな」「出ていけ」

「死ね。お前が死んでくれたら、すべてがうまくいく」「私はお前の世話にはならない。お兄ちゃんのお嫁さんの世話になる。お前の世話になるくらいなら死んだほうがましだ」「親のことを嫌いな子供はいるかもしれないが、子供のことを嫌いな親はめずらしい。私はお前が嫌いでたまらない」

中学3年になり、全く勉強をしなくなった。理由はやる気がなくなった。それだけ。当然成績は下がっていった。内申書が悪いからワンランク下の高校を受験するほうがいい、と言われた。母親は即座に返事をした。「模擬テストの成績はいいんだからあの高校へ行きたい」と私が言うと「お前はお兄ちゃんよりいい高校へ行って、お兄ちゃんをバカにするつもりなんだろう」。それ以降、私は何も言わなかった。

全く勉強せずに高校に受かった。入学してはじめての試験で学年で6番だった。ここの高校バカばっかりだと思った。高校に入っても全く勉強しなかった。それでも今までの貯金だけで、成績は何とかなった。高校を辞めたかった。中卒になるのが怖かったから、卒業証書をもらうためだけに高校に行っていた。泣きたいのに乾いてしまって涙すら出なかった。死にたかった。病気で死んでいく人に私の命をあげたかった。死ねなかったから生きてきた。家から通える大学に行くように言われた。高卒なんて、学力のない人か経済的余裕のない人だと思っていた。勉強はする気がない、かといって勉強せずに受かる大学など行きたくなかった。高卒で就職という選択をした。母親は言った。「高卒なんて世間体が悪い」「この家から出ていくことは許さない」

結局私は家から通える会社に就職をした。退職、就職を繰り返し、交通費を1日5000円もらって専門学校の外部講師になった。某短大からスカウトされたこともある。専門学校から連絡をしないようにと電話番校を教えてくれなかった。あとで知った。

生きる意味なんてない。死ねなかったから今の私がある。

父は兄に同居を求めたばかりにグループホームへ入ることになった。老人は誰も相手にしてくれなくなったら、一人ぼっちになったら呆けてくる。そこまで呆けてなくても、グループホームに入れば、周りが呆けているので自分も呆けてくる。父は2度と自分の建てた家に帰ることはない。兄夫婦がそれを許さない。

「いつも何をしているの」

「寝込んでいる」

家で居る時も「することないから」といつも寝ていたな。一人ぼっちでさみしい、と言っていた。そんなことを近所に言われたら世間体が悪い、と兄は言った。「ヘルパーを頼んだら?」「まるで俺たち夫婦が何もしてないように思われる」

父は死ぬまでグループホームで居る。生きる意味なんてない。ただ生きているだけ。

それでも死んでほしくない。こうやってあと何回父と海を見るのだろう。私のことは忘れても、お墓だけは覚えている。夫は「記憶にカースト制度があり、私よりもお墓のほうが上なんだろう」と言う。

「風が冷たい。寒くなったから帰る」

「歩くのが一生懸命だ」

たんぽぽが咲いていた。

「来月また来るから」

生きていてくれる。それだけでいい。

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