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this worthless life

思ったことをそのまま書きます

100分で名著『ガンディー 獄中からの手紙』と映画『ガンジー』

 

100分で名著の『ガンジー獄中からの手紙』を見終わった直後にbsプレミアムで映画『ガンジー』をしていたので観た。

こうやってガンジーの人生や活動や思考を学んだあと、映画を見た感想は、こういう聖人君主がほんとにいたのだと言う事。以前テレ朝の『ここが変だよ日本人』の番組でベナン共和国出身の人がこう言っていた。

「私たちはフランスの歴史や文化や芸術はフランス人以上に詳しい。しかし自分の国のことを知らない。学校で教えてもらっていない」

植民地の意味を深く考えたことはなかったけれど、今でも韓国が日本に敵愾心を持っているのもわかるような気がする。イギリスの植民地だったインドが独立のためにどれだけの犠牲をはらい、ガンジーがどれだけ努めたか。

性欲、食欲、所有欲など欲望の制限をする。私たちの所有物ではなく神のものである。私たち自身でさえ神のものであり、「自分であること」は神の器である。

実現が難しい高次の目標と実現可能な目標が合わさって理念が上手くいく。

実現可能な目標をひとつひとつ積み重ねていく。本当の意味での文明は欲望を削減すること。欲望を超えた本当に大切なものがある、非暴力で独立運動をしよう。

南アフリカで人種差別を経験する。8歳以上のインド人は指紋登録をしなければならなくなったが、ガンジーは登録証の紙を燃やす。イギリスの専売特許である塩を自分たちで作ろう。たとえ殴られても相手に手を出してはならない。非暴力のほうが強い意志を示す。

”勇者とは剣や銃の類ではなく無畏をもって武装した人のことです。恐怖に取りつかれた者たちだけが剣や銃で身構えるのです。殴っている人間の心の痛みが、殴られている人間の肉体の痛みを上回り、内面から生まれてくる善良なものを喚起し、その時に何かが始ますのです。相手が愛のほうを守らない場合、暴力的な態度に出てくるかもしれません。それでもなお私たちが真の愛を心に抱き続けるなら相手の敵意に打ち勝つのです。必要とあらば自ら苦しみを引き受ける覚悟をせよ、との黄金律に従うなら障壁は消滅するでしょう。”

人を傷つけないことは手段とする。非暴力が臆病の盾に使われてはいけない。怒りや憎悪こそ欲望。赦しがなければならない。外ではなく自分自身の内にある。外で敵と戦うときは内なる敵を忘却している。イギリス人はインド人に綿花を作れという。しかしそれはイギリスで加工されインドで買われる。綿花を安い値段で売り、衣料品を高い値段で買っていた。インド人はいつまでも貧困である。

自分たちで生地を作ろう。自分たちの土地で自分たちで作っていく。近代文明を超えていこう。

”良いものはカタツムリのように進む”

人間の思い上がりがスピードの中に含まれている。社会を一変するような魔法は世界にはない。『歩くこと。食べないこと。糸をつむぐこと。』それがガンジーがした独立運動だった。しかしインドの独立には宗教の問題があり、イスラム教とヒンズー教との対立があった。結局イスラム教の多い地域ではパキスタンとなり、ヒンズー教の多い地域でインドとなった。インドは二つに分かれてしまった。

パキスタンとインドの国境ではイスラム教とヒンズー教で対立がおこるようになる。争いをやめるためにガンジーは断食をする。

最終的にガンジーはヒンズー原理主義の人に射殺されるのだが、この記事を紹介したい。

blog.livedoor.jp

何が正しくて何が間違っているかについて最終的な審判を下すのは彼だけであるかのような主観的考え を抱くようになった。もしもインドが彼の指導を仰ぐなら、インド人はガンディーの無謬性を受け入れねばならなかった。しかしもしそうでないならば、彼は国 民会議と一線を画し、独自の道を歩んでいただろう。

 

どちらの道を採るにせよ、両者の折衷的な道はありえない。つまり、国民会議が自らの意思をガンジーに屈服させ、彼の情緒や気紛れ、哲学や世界観に対して常に後塵を拝さねばならないのか、それとも彼なしでやっていくかである。

イギリスの植民地からのインドの独立にはガンジーの行動は非常に正しかったと思うと同時に、私はガンジーの聖人さに少し畏れをなし、この文章と射殺したゴドセに少し共感してしまうのです。