this worthless life

思ったことをそのまま書きます

100分で名著 宮沢賢治

 

テレビの録画がたまっていて、とにかく見なければならない。それで25分間の100分で名著をコツコツ見ることにした。3月に放送した宮沢賢治。これが思いのほかよかった。最初の1回めは予想通りそんなに興味をそそることもなかったが、回数を重ねるたび面白くなって第4回は完全に宮沢賢治の見方が変わった。

宮沢賢治の印象は「注文の多い料理店」や「セロ弾きのゴーシュ」どれも動物が多く出てくるヘンテコリンな話。今から1年未満にネットで読んだ話で山に住んでいる動物から手紙が来て裁判に出席する、あれは確か宮沢賢治だった。だからどうしたという感じ。すぐ手の届くところに藤城清治風の又三郎があるが、これは藤城清治の影絵が好きで購入したもの。 

画本 風の又三郎

画本 風の又三郎

 

羽海野チカの漫画「ハチミツとクローバー」の中に宮沢賢治の「やまなし」という話が出てくる。 「やまなし」は読んだことがなかったので、夫に話をすると本棚から宮沢賢治の全集を取り出した。「俺、宮沢賢治の生家にも行ったことがある」。それで「やまなし」だけ読んで返した。ほとんど印象に残っていない。

「雨にも負けず」は教科書で習ったが、厭世的な考え方をしていた私は「これはギャグか」とさえ思っていた。こんなご立派な考えをもって生きている人は誰もいない。

今回番組で初めて知ったのですが、あの有名な「雨にも負けず」のあとには続きがあることを。

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 

丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ 

あらゆることを 自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり そして忘れず 

野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず

そういうものに わたしは なりたい

南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 

南無釈迦牟尼仏  南無浄行菩薩 南無安立行菩薩

「なむみょうほうれんげきょう」の言葉が最後にあるんです。青空文庫にははいっていました。教科書に載っていないだけだったんですね。これは宮沢賢治の妹が亡くなってそれが宮沢賢治の詩のベースになっていて最後にこの言葉を入れたんだと思います。

この言葉があるのとないのとではかなり詩の意味合いが変わってきます。

日本の国が都合のいいように解釈したいがために最後の言葉を省きました。

戦時にあるべき日本の精神。戦後の窮乏を耐えて生きる人間の姿。

それを広めるためにこの詩を利用した。

しかし宮沢賢治の求めるあるべき人間の姿は

”ひとはひとのために何かしてあげるために生きてきた”

ひとはほんとうのいいことが何か考えずにはいられない。

人が道を求めないでいられないことはちょうど鳥の飛べないでいられるのと同じだ。

決して忘れてはならない。

「マリボロンと少女」で音楽家が少女に語ります。

正しく清く働く人は 一つの大きな芸術を 時間の後ろに作るのです。

鳥はうしろにみな そのあとを持つのです。

みんなはそれを見せないでしょうが わたしはそれを見るのです。

同じようにわたくしどもは みなそのあとにひとつの世界を作ってきます。

それがあらゆる人々の いちばん高い芸術です

宮沢賢治の後期の作品が読みたくなってきた。宮沢賢治そのものを知れば作品のとらえ方も変わってきました。