this worthless life

思ったことをそのまま書きます

ふと思い出したこと

qtamaki.hatenablog.com

 

 賢者の創作石  id:ArtStoneさんがリンクを貼られていたこの記事。

 

私の高校時代、父親不在の家庭で母親との不仲、家庭不和、学校嫌い、思春期の憂鬱、毎日が悶々としていた。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

ゴーギャンさながら、そんなことばかり考えていたある日、本屋で一冊の本を見つけた。

『生きる 加藤諦三

題名にひかれて購入した。この本を読んだ衝撃は今でも覚えている。加藤諦三先生はこの本を書いた時まだ20代で(Wikipediaで確認をすると26歳)東大の大学院を出たばかりで、どうしてもいま自分の思っていることを書きたかったから、出版社に持ち込んでいって採用されたと書いてあったように記憶する。20代の文章は内から湧き出るエネルギーに満ちていて、ギラギラとした加藤先生の叫びだった。それから何冊も加藤諦三先生の本を購入し読んだ。当時の先生の本はどの本もギラギラしていた。

そんななか、将来のことを考えていた。短大に言って社会勉強のため就職をして結婚をする。そういう筋書きが母親にはあった。私自身、高卒なんて言うのは人種の違う人だと思っていた。学力のない人、もしくは経済的に困難な人。それが高卒だと思っていた。短大なんてピンからキリまであるから、全く勉強をしなくても合格できる短大はあった。勉強しないで入れる大学には生きたくなかった。かといってやる気もない。

高校を出て就職しよう

完全な発想の転換だった。こう思ったとき、なぜか周りが明るくなったように思えた。凄く嬉しかった。身体が軽くなった。自転車に乗って外へ出た。目に見える景色がとても綺麗だった。光が眩しかった。

どうにもならないと思っても、どうにかなるものだと思っている。そして一筋でも光が見えたら、そのドアを大きく開ければいい。

 

年をとるっていうことは、背負っている荷物をひとつづつ捨てていくこと。

 

20歳を過ぎたころそう思った。身体が軽くなった。川上にある尖った石が転がり落ち川下にきて丸い石になるように、人は変わっていく(全く変わってない気もするが)。

何十年か前、加藤諦三先生の「アメリカインディアンの教え」がベストセラーになった。加藤先生は以前のようなギラギラ感は失せていた。論理的な文章を書く先生になっていた。私は数多くのやりたいことをやってきた。そして年をとって体が軽くなった今、自分は何でもできるんじゃないかと中二病のように思っている。まだやりたいことがたくさんある。やりたいことに年齢なんて関係ない。こういう馬鹿みたいな考えは、若い頃読んだ加藤諦三先生の本がベースになっているんだと思う。若い頃山ほど読んだから加藤諦三先生の本を読むことはもうないだろう。サクラ id:sakurafubukimauさんのブログで「加藤諦三」の名前を目にして懐かしいなぁと思いました。

とりあえず、今やらなきゃいけないことはテレビの録画がたまっていること。これを消化していかなければ!